世界を旅するときにとても嬉しい出会いが、そこに暮らす人々との出会いや彼らの暮らしにふれることです。そして、現地のおいしい食べ物も。
宗教的なことは私は良くわからないのですが、その土地に根付いた文化や音楽、お祭りには、なんだか懐かしいものを感じることがあります。
本日の記事では、東南アジアでも有名な観光地であるバリ島で出会った『ジェゴグ』の紹介をします。
どのお祭りや文化もその土地の暮らしから生まれたもの
ひとつの唄をとってみても、急にどこかから降ってくるのではなく(宇宙から急に降りてくることもあるかと思いますが…)、長年そこでの暮らす人々の時間の積み重ねから、ひとつの形になることがほとんどだと思っています。
日本を代表するような『さくら』や『ふるさと』のような歌も、その土地で暮らす人々の暮らしや思いから生まれます。
樹齢数十年のさくらの樹が毎年花を咲かせて散る、その桜をいとおしむめんめんと続く人々の暮らしがあってこそ、ひとつの歌が生まれます。
ふるさとの歌の中にある情景も、1日にして生まれることはなく、何世代にもわたって、続いていたかけがえのない豊かな自然とそこでの暮らしがあってこそ、生まれた歌だと思います。
そして、その土地で生まれたお祭りなどの文化にもその土地が、育んできた時間とそこで暮らす人々の暮らしや思いがあってこその、文化です。
そして、経済成長の流れの中で、長年続いてきた文化を同じように継承していくことが難しくなっているのは、インドネシアを代表する観光地バリ島でも同じようです。
人々の暮らしがすっかり変わってしまった後に、歌やお祭りなどの文化だけが残っても、それはまさしく外側だけ。悲しいですが、昔のお祭りとはまったく違ったものになってしまいます。
ジェゴグと一緒に暮らすヌガラ村の人々
ヌガラはバリの観光地から離れていますがジャワ島へ渡る道中にあるために、車の通りはとても激しく比較的大きな町に感じます。ただ、雨が少ないために、他の地域と比べるとお米の収穫量が少ないために、豊かな暮らしではなかったようです。
インドネシアでは、1年のうちに3回お米を収穫するのは当たり前で、なかには全く土地を休ませずに、4回収穫することもあるようです。
ヌガラ村がどのくらいの頻度でお米が作れるのかはわからないのですが、青銅の楽器を購入する余裕がなかったために、地元にある竹を使って『ジェゴグ』というオリジナルの楽器を作り出しました。
ジャワへ続く大きな街道が通っていること、そしてインターネットの普及などで、ヌガラ村の暮らしも大きな変化の影響を受けています。ヌガラの伝統文化である『ジェゴグ』を守っていくためには、村に暮らす人々のジェゴグへの思いとジェゴグを支えていく田んぼのある暮らしが欠かせません。
ほかの土地と同じように変化の波を受けて、過渡期を迎えているヌガラ村で『ジェゴグ』を聞く機会に恵まれました。
4つの音階を持つジェゴグ
たった4つの音階しかないとは想像もつかないほど、いろいろな音が田んぼに響き渡ります。竹の太さもまちまちなので、音色に微妙な違いがあるとは思うのですが、4つの音階だけで、「どうしてここまで無限に広がるような音楽になるのか?」あの時を思い出すたびに、不思議です。
ジェゴグは4列になり14台の楽器が並んでいるのですが、一番後ろに構えている3台が一番竹が太く、演奏自体のベースを作り出しています。
そのうちの一台の楽器の下に入らせてもらい、音の波の中に包まれて曲を身体で感じることができました。何というか、ずっとこのままでいたくって、もちろん音が響き渡っているのですが、うるさいとは対極ある感覚で、できればこの楽器の下で眠りたい欲求が生まれたほどです。
この音に包まれながら眠ることができたら、「体中の細胞がどれだけ癒されるだろう」と心のそこから思いました。実際に眠ることはしませんでしたが、目を閉じて、その音の波に身体をゆだねていたら、とっても満たされて幸せな思いでいっぱいになりました。
掛け合いをするジェゴグ~ムバルン
ジェゴグの演奏の魅力は竹の作り出す音色や響きだけではなく、ふたつの楽隊が『ムバルン』といわれる掛け合いをするところです。いわゆる演奏を競うのですが、それがとっても楽しげなのです。
自分達の演奏のうまさを披露しながら「悔しかったらもっとうまく演奏してみろ♪」みたいな感じであおるのですが、それがとてもほほえましいのです。見ている方も、思わず楽しい、幸せな気分になります。
途中休みをいれながら演奏をするのですが、その集中力と体力は、ものすごいと思います。日々の練習あってこそ、本番であそこまで楽しみながらできるのだと思います。気がつけば、どの演者の腕の筋肉もムキムキです。
まとめ~忘れられない演者の言葉
どの演者もとても楽しげで、きらきらしていました。そんな場に一緒に参加することができて、とてもラッキーです。とても幸せな時間をすごしました。
ジェゴグの演奏が終わりちょっと話を聞いたときに、「全くお金にはならない。でも、楽しいからやっている。そして、それでいいと。」演者の一人が話してくれました。
お金は今の社会に生きていくうえで、とても大切な道具?のひとつです。でも、やっぱり私は、このお金というものを超越したところに、人としての本当の幸せがあると思っています。
ラオスのルアンプラバーンへ行った時に出会った人たちの瞳は、生まれながらにしてきらきらしている、そういう純真な輝きがありました。ジェゴグを心の底から楽しんでいる人たちの瞳の輝きは、自分の大切なこと自分が楽しいと思えることに向き合い、今ある人生をとにかく楽しいと感じながら生きているそんな熱い輝きがありました。
ジェゴグの竹の音の響きに包まれたい人は、ぜひバリ島ヌガラまで出かけてください。大きなホテルや町中で開かれる演奏会が主流かもしれませんが、運良くヌガラの田んぼでジェゴグが開催される機会に出会えたら、ものすごくラッキーですよ。
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