2018年1月1日です。
ラオス、ルアンパバーンにあるパーマカルチャーのプロジェクト『ナムカーン』に滞在しています。
12月10日にルアンプラバーンに到着して、子供3人とWorkawayをしています。
初ワークアウェイ、初ラオスです。
そして、そのラオスで、新年を迎えました。
昨日はラオの人たちと、他の国々から来たボランティアと一緒に、大晦日のお祝いをしました。
とても幸せな一日でした。
思い切って、ラオスまできて良かったです。
予算的なことも気にはなったのですが、それより何よりやっぱり行ってみたいという思いのほうが、大きかった。
その気持ちに従ってよかったです。
きっと、多くの人も気持ちの奥のほうから、よく理由はわからなくても「あの国へ行ってみたい。」「あの映画を観てみたい。」「あの人に連絡を取ってみたい。」などなど、気持ちが生まれることがあると思います。
そんな時は、ぜひその気持ちに素直になってみてください。
深いところにいる自分自身からのメッセージかもしれません。
お正月のルアンプラバーン・ナムカーンの様子や風景などを紹介をします。
もし心の奥のほうで、ラオスに行ってみようかなぁという気持ちが芽を出したら、その芽を育ててみてください。
もちろん、他の国に惹かれるものがあれば、ぜひ扉を開いてみてください。
目次
私はお皿洗い厳禁です
夕べというか、もう年があけてから他のボランティアがまだ、おしゃべりをしたり、飲んだりしているところ、私はベッドに入りました。
たぶん、1時前だったと思います。
その前に、お皿を少し片付けておこうと思って、台所でフランチェスカとお皿を洗っていると、ルームメイトのフェデリコが来て「NO、Go to bed. 」と半ば真剣な顔で言われてしまいました。
お皿洗いを中途半端にして、部屋に戻ったのです。
フェデリコとリンダは、私が一番お皿洗いをしていると感じているようなのです。
もしかしたら、実際にそうだったかもしれないけれど、それは私にとっては全くよくって、いやいややっているというよりは、好きでやっていたのです。
フェデリコたちは、それはフェアではないと思っているようで、当番以外で私がお皿を洗っていると、目を光らせて見ているのです(笑)。
それにやっぱり私は食べたお皿が洗われていない状態でいるのが好きではないのですが、それでもやっぱり私にはお皿を洗ってほしくないようで、25歳くらいのイタリア青年に、もうベッドに入りなさいと、諭されてしまったのです。
全くもって、おかしいことです(笑)。
新年の風景
遅く眠ったのに目が覚めてみれば、まだ6時前ごろ。
気持ちよく目が覚めました。
子供たちモリンダもフェデリコもまだぐっすり眠っています。
新年のナムカーンの様子を見に表に出ました。
とても気持ちのいい空気と空が広がっています。
ラオスは比較的、いつも静かなのですが、新年はよりいっそう静けさがあっちにもこっちにも広がり、川の音と鳥の声が聞こえるくらいです。
特にナムカーンは「calm and peaceful」という言葉がしっくりきます。
ナムカーンの流れそのものです。
しばらくぼっーと川の流れを眺めてから、ナムカーンに戻りました。
そうです、昨日の宴の名残はどうなっているのでしょうか…。
リンダとフェデリコが起きてくる前に
誰が見ても、盛大な宴があったことがひと目でわかる状態です。
あっちにもこっちにもラオビールのビン。
お皿も、スプーンも、コップも好き勝手に転がっています。
どこから手をつけたらいいのか、ちょっと悩みましたが、とにかく、ひとつひとつできるところから片付けていると、女性のラオスタッフがふたり、どこからか来ました。
台所の水道、表の水道に分かれて、洗い物をしました。
次々にお皿が片付いていき、どうにか、朝ご飯が作れる状態になると、ラオスタッフは「サバイディ~」と言ってどこかへ行ってしまいました。
その時はなんとも思わなかったのですが、それっきり彼女達は、その日に戻ってくることはありませんでした。
その時は、フェデリコとリンダが起きてくる前に、お皿洗いが完了してよかったぁと思っていたのです。
ラオスでお汁粉作りました
お雑煮までは作れそうもなかったので、お汁粉を作ろうと思い町に降りた時に、インターナショナルのお店で小豆を買っておいたのです。
それを夕べのうちに半分位まで煮ておいたものに、もう一度、火をつけてやわらかくします。
小豆が軟らかく煮えたら、砂糖を何回かに分けて、入れながらことこと煮ます。
杵と臼はないので、お餅はつけないけれど、炊飯器で硬めに炊いたもち米を、ちょっとつぶせば、お餅の3歩手前くらいになります。
ただ、ちょっと水加減がわからなくて、ご飯がやわらかすぎていまい、ちょっとペッチョリしてしまいました。
お汁粉の用意ができる頃、ひとりふたりと起きてきました。
みんなあれだけ飲んでよく起きられるなぁと思います。
まぁ、若い人は代謝もいいので、あまり関係ないのでしょう。
私は、特にみんなの分と思ってお汁粉と作ったわけではなく、もしほしい人がいれば、もちろん食べてもらいたいと思って充分な量を作りました。
子供達もお腹をすかせて起きてきたので、お汁粉をお皿によそって、食べ始めます。
他のボランティアにも、なんとなく声をかけながら、お汁粉を分けて食べました。
いつもなら、ラオ風の朝ご飯を作るスタッフも、食べる人たちもひとりも現れません。
朝方、挨拶だけしたカンプーの姿も見えなくって、みんななんとなく、ラオ人スタッフがいないことが気になっている感じです。
まぁ、そのうち来るだろうとこの時はあまり深く考えずに、それぞれが自由な時間をすごしています。
お汁粉のできは、まぁまぁでした。
お餅がお餅でなかったこともあるのですが、どうしても私のあんこは塩あんになってしまうようで、どうもいまいちだった感じでした。
ナムカーンの川に集まる色とりどりの石を紹介します
私たちは、お腹もいっぱいになったので、河原まで散歩に行きました。
一時期よりは暖かくなったとはいえ、とても川にはいるほど暑くありません。
来たばかりの頃、ナムカーンに入っておいて良かったです。
石を投げたり集めたり、砂で山を作ったりして、のんびりした時間をすごしました。
ナムカーンの川岸に集まる石は形もステキで、いろんな色の石がたくさんあります。
いくら見ていても飽きないほどです。
石の色はどんな風にして、決まるのでしょう。
どんな成分が入ると、こんな風な色になるのでしょうか。
初詣もおせち料理もありませんが、とても幸せな時間をすごしました。
「ラオの人は元日は働かない。」という意味
お昼ごはんの時間になっても、ラオの人たちは全く現れません。
ボランティア以外、ひとっこひとりいないのです。
働いていないし、それほどお腹は空いていないので、お昼ご飯はないけれど、まぁなんでいないんだろうねぇと、顔を見合わせながら、冷蔵庫をのぞいたりして、あるものをなんとなく、お料理したり、それぞれ、気の向くままにすごしています。
私は、どうやらお餅もあんこも作りすぎたようで、ひたすら残り物を食べました。
夕ご飯になったら、誰か来るだろうと、ボランティア全員が思っていたと思います。
でも、それは現実とはならずに、夕ご飯の時間になっても誰も来ませんでした。
この時になって、シスカ(ナムカーンのオナーのひとり)が言っていた「ラオの人は元日は働かない。」という意味がわかりました。
シスカは、具体的にご飯の支度をする人もお休みをするということを言いたかったわけではないと思います。
ただ、「誰も働かない=誰もご飯の支度をする人がいない」とは思っていませんでした。
もちろん、ラオ人みんながお休みすることはいいのですが、スタッフが誰も来ないことをボランティアは、誰一人として知らなかったのです(笑)。
宴の後なので、食材はそれほど、台所に残っていません。
あるものを工夫したり目の前の畑にある食材を調達して、みんなで、ご飯を食べました。
人気だった野菜は、調度、収穫期を迎えていた小さな赤たまねぎです。
それでも、誰ひとりとして不平を言ったり、文句を言う人はひとりもいません。
ただ、なんとなくこの取り残された感を、みんな楽しんでいるようです。
子供達も、いつもと違う静けさとシンプルな食事、そしてそれを自然に受け止めているそれぞれのボランティアを前に、異国でのお正月を楽しんだのではと思っています。
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