ラオス・ルアンパバーンにある、Workawayのホスト、『ナムカーン(WWOOFのホストもしています)』で多くのボランティアたちに出会いました。どの人も個性豊かなので、時には意見が分かれたり、話がまとまらなかったたりしたことも。
そんなひとつひとつのできごとが「ワークアウェイをしてみたいけれど」と悩んでいる人の背中を押すことになるのでは?と思い、ここに紹介します。
それぞれが、それぞれでいいのです。
多くの出会いの中で、印象に残ったボランティアやできごとの紹介をします。
目次
ワークアウェイ先での国別ボランティアの紹介
私たちが滞在していたホスト先では1度に最大12人のボランティアが、ワークアウェイをしていました。
(そのうちの、4人は私たちになってしまうのですが…)
イタリアからふたり、デンマークからひとり、イギリスからひとり、フランスからひとり、ドイツからひとり、スペインからひとり、カナダからふたり、ベルギーからひとり、フィリピンからひとり、エジプトからひとり、アメリカからふたり…。
こんな感じです。
多くの人たちが3週間を目安にして、別の場所へ出発していきます。
ボランティアの言語と年齢
ほとんどのボランティアが英語を話しますが、中にはイタリア語だけ、スペイン語だけ、という人もいます。そして、中には3~4カ国語を気軽に話す人もいるので、スペイン語もイタリア語も英語も話せる人がいます。
そうすると、時には食卓の上をスペイン語が中心になって飛び交うこともあります。
ワークアウェイを積極的に利用している人は、断然ヨーロッパ圏の人が多いです。そして年齢を見てみると、25歳位が平均です。
私たち4人はアジアから来ていること、そして年齢でも他のボランティアと大きく(笑)私だけ?離れていました。
ベジタリアンの彼女の突然の感情
私たちがナムカーンに来て1週間くらいたった頃、ドイツから来ていた女の子がご飯のときに突然泣き出しました。
私はちょっと離れたところにいたのですが、様子がおかしいのにすぐ気がつきました。
単語単語しか聞き取れなかったのですが、食事のメニューが彼女にとっては、とてもしんどかったのです。
お昼ご飯と夕ご飯は、おかずが2~3品出ます。1品はたいていお肉かお魚、卵が使われています。
そして野菜のメニューは、ほとんど毎回『空芯菜』。
空芯菜をゆでて、にんにくなどで炒めたものです。とてもおいしいのですが、野菜しか食べない彼女にとっては毎日のおかずが、ほとんど空芯菜になってしまうのです。
ベジタリアンと言っても、ただ単に動物性のものを食べない人もいれば、お料理の中に、お肉が使われていれば、その中に入っている野菜も食べない人もいます。
彼女は卵は少し食べるのですが、お肉が使われたお料理は食べません。卵も続くと、しんどくなるようです。
そうなると毎食毎食、空芯菜。
私たちより1週間以上早く来ている彼女は、もう2週間も空芯菜を食べ続けていることになります。
我慢していた感情と涙が思わず流れてしまったのでしょう。食事に対する思いを伝えたあと、トイレにしばらくいました。
コーディネーターのサオさんはあとから、「ホームシックみたいなものも重なったのではないか」と言ってました。確かに、そういうこともあるかもしれません。
このことを境に、食事のメニューがとても変わりました。劇的といえるほどです。
彼女も食事のたびに、目を輝かせて喜んでいました。豪華になったということではなく、野菜お料理のバラエティーが増えました。
そして、ぱったり空芯菜が出なくなりました(笑)。
すぐ目の前にたくさんの空芯菜が収穫期を迎え、風にゆらゆらと揺れているのですが、彼女がいる間は食卓に上がることありませんでした。
自分の気持ちや感情を伝えることは、とても大切です。気持ちや感情は、その時のものです。日本人は、とかく我慢することを美徳としがちです。もちろん「そうしたい、そうしよう」と思うときには、それでもいいと思います。
ただあまり我慢しすぎたり、自分の気持ちを押し込めすぎてしまうと、『感情を感じにくくなってしまう』のではと思ったり。
違くていいのです。
そして伝えることで行動を起こすことで、現実が動きます。
空芯菜は、英語では『morning glory』と言います。空芯菜の豆知識?や、ずば抜けている栄養面をお伝えしているページがありますので、興味のある人はのぞいてみてください。
空芯菜は沖縄や九州ではよく食べられ、関東でも、夏場には出回るはずです。
お休みは週1回でも、クリスマスは例外
クリスマスが近づいてくるとナムカーンでも飾り付けを作ったり、クリスマス気分が高まってきます。なるべく身近にあるもので、クリスマスをお祝いしようと竹でクリスマスツリーを作りました。
これは、シィシィとマルティンのアイディアです。子どもたちも、一緒に飾り付けを手伝います。
ラオの人たちは、クリスマスをお祝いしません。仏教と元々ある宗教が根付いているので、クリスマスということは知っていても、まだそういう習慣がありません。
ボランティアのほとんどはクリスチャンです。しかも、私たち日本人組みも宗教とは別のところでクリスマスをお祝いしているので、他のボランティアと一緒にワクワクしています。
同じクリスチャンで同じヨーロッパ圏から来ていても、お祝いの仕方は微妙に違います。
ナムカーンではナムカーンスタイルで、お祝いすることで意見が一致。
何かしらのパーティをするかもとは思っていたのですが、みんなで食事を作って一緒にお祝いできる形になるとは思っていませんでした。
とっても嬉しいです。
そして、それぞれの国の料理を作ることにもなりました。
私たちは、日本人なので他のボランティアから、お寿司を作ってほしいと言われます。お寿司には新鮮な魚が必要です。ちらし寿司とも思ったのですが、茶碗蒸しにしました。
そんなこんなで盛り上がる中、ひとつの問題が解決されずに、クリスマスが近づいてきました。いや、正確には、2つです…。
まずひとつはボランティアの中で「クリスマスは特別の日なので、日曜日とは別にお休みにする」のが当然とのいけんがある。
これは、はっきり聞いたわけではないけれど、ヨーローッパから来たボランティアの中にも、温度差がある感じでした。
完璧にお休みするのが当然と思っている人もいれば、できればお休みにして欲しいと思っている人もいるという感じです。
ナムカーンのお休みは、日曜日。
日曜日は24日なので、クリスマスイブはお休みです。本番?のクリスマスは月曜日なので、いつものように作業があります。
何度か話しあいをする機会があったのですが、結局日曜日の24日に作業をして、翌日のクリスマスをお休みにするということで(これは単にお休みがずれただけ)これ以上の歩みよりはありませんでした。
24日にみんなでお料理をするので、24日に仕事をしたらご飯が作れないと言うことも上がります。結局、話はなんとなく平行線で終わってしまいました。
その中で、どうしても納得できないボランティアがいます。もちろん怒っているとかそういうことではなく、ただ単に「納得できない」のです。
クリスマスはクリスマス。
日曜日とは関係ない。
結局、納得できなかったふたりは、24日も25日も作業はしませんでした。でも、だからと言って何かがギクシャクするとか、その人に対する見方が変わるとか、そういうことは全くと言っていいほどありません。
違うことはある。
そして、それはそれ。
なんとなくですが、こういうある意味、割り切った考えがヨーロッパには、たくさんあるのでは?と思いました。
それぞれが違う。
自分の考えも変えないけれど、相手の考えもムリに強制はしない。多数決で答えを出すのではなく、その人はその人でいい。そして、意見や考えが違っても、お互いの関係には変化はない。
なんとなく、こんなことを思いました。
24日は午後から食事作りに取り掛かれるように、いつもより早めに作業をすることになっていたのですが、当日になってみればやっぱりクリスマスムード。
結局いつもと同じ時間から作業を始めて、午後はほとんど仕事はしませんでした。
私はクリスマスは特別なものではなく楽しむものなので、いつもと同じように働いてもいいのです。
しかも、茶碗蒸しは子供たちだけで作れるので、私の出番はなし。
お昼ごはんのあと、作業をしたのはボランティアの中では私だけです。と言っても、いつもより短い時間でしたが。
私はやっぱり1日4~5時間働くという約束できてること、ホスト側が休んでもいいと言うのなら休むけれど、働いて欲しいと言われれば、それはそうだと思うし私もそうしたい。
なので、午後は空芯菜の種まきをラオの人たちとしました。
そして、クリスマス気分になっているほかのボランティアは、そんな私のことは気にしません。いい子ぶっているとか真面目だとか、聞いたわけではないけれど、そんな風に思っている人はいなかったと確信しています。
違っていいのです。
もうひとつの問題はやはり意見がそれぞれで、みんなが余りにも好きなことばかり言うので面白いくらいでしたが、長くなりましたので割愛します。
洗濯物を部屋の前に干すなと言われても
私たちとリンダフェデリコが使っているおうちは、部屋の前にテラスがあります。
そして、テラスにはぐるっと枠(手すり?)があるので、物を干すのに調度いいのです。
私たちも畑から戻ってきたときに、脱いだ作業着を広げたり、ぬれたタオルを干したりしていました。ルームメイトのリンダたちも、やっぱり便利なので、その手すりを大活用していました。
ところが何日かしてから朝ご飯のあとのミーティングで、コーディネーターのサオさんから、「家の前に洋服などを干さないで欲しい」と言われました。
理由はいわれなかったのですがラオの人は好きではないと、なのでやめてほしいと。
ええっー。
そうだったのですか。
自分たちの部屋を振り返れば、これでもかというくらい最大限にいろいろなものが、かかっています。
知らなかったとはいえ、見た目もあまりよくありませんねー。(はははー)
部屋に戻ってすぐに、干してあるものをしまいました。
そしたら、この中途半端な状態の服やタオルをどこに干せばいいのか…。
汚れているけれど、まだ着る作業着。
ぬれているタオル。
ちょっと風に当てたいもの。
(数日して、少し離れたところにロープが張られ、洗濯物が干せるようになりました。でもボランティアの数を考えると、充分な広さではありません。)
まぁ仕方ない。
まだ着る作業着は広げずに、たたんでおいて置く。
ぬれたタオルは、干しに行けばいいですね。
ところが、一緒にサオさんの話を聞いていたリンダたちは、いっこうに干してあるものをしまいません。
なんとなくですが、ラオ人の家の前辺りに洗濯物を干している家もあるし、スタッフの人たちも、家の前辺りに干しているのです。
リンダたちがいっこうに、服などをつるしたままでいるので、数日後にまた、サオさんから、干さないでほしいとミーティングの時に言われました。
それでも、彼らは干したままでした。
たぶんですが、納得できないのだと思います。
異文化の人に、その人たちの習慣にないことを伝えるためには、その理由をはっきり伝えることが大切だと、改めて感じました。
しばらくしてから、足拭きようのタオルを洗ったので、テラスの下のほうにつるしていいかとサオさんに聞いたら、そこならいいと言われました。
いいのなら干すけれど、いまいち違いがわかりませんでした。
ああ~、理由をしっかり聞いておけばよかった。
ひとつのことで、大きく意見が分かれても、それはそれ
ラオスでは、多くの犬がかかる『犬パルボウイルス感染症』が、広まっています。
詳しくは後日、書ければと思っていますが、生後数ヶ月から感染しはじめ、子犬たちが死んでしまいます。
ナムカーンでも、かわいい子犬たちが病気になり、数日前まで元気だったのに、衰弱していくようになりました。
東南アジアの多くの地域で言えることなのかもしれませんが、ラオスでも犬は『ペットや家族』というよりは、『番犬』の立ち居地なのでしょうか。
たくさん生まれるので、強い犬だけが生き残り、あとは自然に任せている感じです。
でも、ボランティアで来ている人たちは違います。
短い間とはいえ、一緒に遊んだ犬達が調子を崩せば、気になり看病をします。
ようやく、ルアンプラバーンでも「獣医」という職業が定着しはじめ、お金を出せば抗生物質や点滴を打ってもらえるように変わってきています。
もちろん、ラオの人たちも、犬の命というものをおろそかにしていると言うわけではありません。
たとえば、病気にかかった犬と感染していない犬と分けるとか、お腹の中を空にするために何も食べさせない指示が出ても、お腹が空いているからかわいそうと、ご飯を上げてしまったりと、微妙な感じがあります。
しかも、この時に、ナムカーンのオーナーが、ラオスにいなかったことが大きく影響をして、どうすることが一番犬にとっていいのかの判断がすぐにできませんでした。
その判断がわかっても、獣医さんにすぐに対応できなかったりと、見守るしかないと時がありました。
始めに調子を崩した犬が1匹死んでしまいました。
その後また体調がおかしくなった別の犬を獣医さんに預かってもらったのですが、その日の内にその犬が死んでしまうことが起こりました。
私達ボランティアの中でもどうすることがよりよい方法なのか、わからず、ネットで調べたりもしましたが、肝心の獣医さんは英語を話さず、あっちにもこっちにも、子犬がいる状況でちょっと情報が混乱してしまったこともあるのですが、
2匹の犬が死んでしまったあとに、また別の1匹が吐いたりし始めたときに、あるボランティアが、別の場所からもっと小さな子犬たちを5匹連れてきたのです。
それにはそれなりの理由があったのですが、
すると、別のボランティアが、ものすごく怒ったのです。
かなりのスラングを使って、思いのたけを、吐き出していました。
言われたほうのボランティアは、調度側にいた私に、自分がなんで、こういう行動をしたのかを説明しました。
一応、私は彼女達がこういう思いで、犬を連れてきたことをその人に、それとなく伝えましたが、情報が混乱していることもあり、彼らは別の思いを持っていて、それでは納得しませんでした。
でも、犬のことを大切に思っていることは、どのボランティアも、もちろん変わりはないのですが、ちょっと行き違いみたいなことだったと思います。
でも、暴言のような言葉を吐いても、言われても、それはそれ。
それから少ししかたっていなくっても、別の話題で、いつものようにお互い接して話をします。
わだかまりがないのです。
すごいなぁと思いました。
言いたいことは言う、でも、それはそれ。
ステキだなぁと思います。
まとめ
ある土曜日の作業のあと、その日の夕方からルアンプラバーンの町に出て、1泊する予定でいました。
朝のミーティングの時にサオさんに「私達は泊まりに行くから、今日の夕ご飯は私達の分は作らないでいい。」とを伝えました。
すると、出かける予定でいたほかのボランティアも、何か気がついたように、自分達もいらないと言い出し、結局、夕ご飯がいらない人数を確認することになりました。
私の中では、作ってくれる人や、残ってしまうご飯のことを考えると、夕ご飯を食べないことを伝えるのはとても自然なことだったのです。
ほかのボランティアの人たちは、その辺は自由で、「夕ご飯はいらない」イコール「夕ご飯を作らなくていい」には、直接ならないのではと思いました。
逆を言えば、自分達が作る立場で、夕ご飯を食べない人の分を作ってしまったとしても、別に気にしないのでしょう。
私なら、始めからわかっていたのなら、言ってくれればよかったのにぃ~。
と、少なからず思ったと思います。
私達、日本人は、なんとなくですが、ついつい全体を見てしまいます。
自分の行動がどう他の人に影響を与えるか。
なるべく迷惑をかけないようにしようと、思いがちですが、そういう文化で育っていない人たちが大半でした。
もちろん個性もあるので、育った国や文化だけで決めることはできませんが、ナムカーンにボランティアに来ている人たちは、
それぞれが、ばらばらのようで、それでもまとまっている。
わざわざ一緒にしようとか、合わせようとかしなくても問題はない
こういう雰囲気が、自然と存在していたように感じます。
なので、ワークアウェイをしてみたいけれど…大丈夫だろうかと考えてしまっている人も、色んな人がいるのが、ワークアウェイであり、それがこの広い世界です。
心配な気持ちは、余り大きくしないで、
「ワークアウェイに行ってみたい」という気持ちを大切して、出かけてみてください。
追記~かけがえのない存在同士の出会い~
瓶ビールを開けるときに、栓抜きが見当たらなければ、何を使って開けますか?
コインやライターで瓶ビールを開けるのを見たことある人は結構いるのではないでしょうか?
(私はマイナスドライバーであけたことがありますが、あまりスマートではありません。)
今回のワークアウェイで、新しいビール瓶の開け方を2つ見ることができました。
ひとつは、王冠の出っ張っているところを、テーブルのふちに当てて、上から王冠をたたいて、栓を開ける方法です。
もうひとつは、とてもびっくり、歯で開けてしまうボランティアがいました。
これは、歯に自信がないと、試せない、究極の方法だと思います。
子供たちも目の前の神業に、びっくりしていました。
型にはまらない、ビールの開け方を紹介したかったことあるのですが、旅に出るといろいろな人との出会いから、新しい発見や感動が生まれます。
その人にとってはごくごく当たり前のことでも、他の人にとってはとても新鮮だったりするのです。
なので、どうぞ、自信を持ってください。
みんな同じ地球で生まれ、地球で育っています。
ひとりだけがすばらしいと言うことはありません。
みんな同じように、かけがえのない存在なのですから。
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