私たち人は「どのようにして生まれたのでしょうか」
「何のために生まれてきたのか?」と同じくらい素朴な質問ですが、きっとその答えはシンプルだと思っています。
目次
地球に降りそそぐ生命の源
海からひとつの命が始まり長い時間をかけて陸に上がり、植物からやがて、鳥類や哺乳類などが生まれ猿が進化をして人となった?
子宮の中にいた時の記憶や前世?の記憶を忘れてしまっているのと同じように、私たちの大元となる命が生まれた時の記憶も思い出せません。
アマチュア天文家の木内鶴彦さんを知っていますか?
私も直接は知らないのですが、この人の逸話を読んで、ものすごく惹かれるものを感じました。
世界にはたくさんの、数千人以上の人が毎晩、自身の望遠鏡で新しい彗星を探し続けています。そして、世界各国の企業や大学などの研究所でも、大きな予算で買った高精度の電波望遠鏡を使い、同じようにまだ発見されていない彗星を探しています。
それでも、新しい彗星を見つけるは至難の業です。木内さんは2年の間に4つもの新しい彗星を見つけだす威業を達成しました。
この人の人生はまさしく色々な出来事があり「波乱万丈」という言葉でも言い尽くせないほど、不思議な事ばかり起こります。木内さんが、ある出来事を通して、過去や未来に旅をします。
その時に、地球上にある全ての生命の源は、彗星にある。彗星の中に存在していた、原始の生命体が地球に近づいた時に、地球に降り注ぎ、私達の生命の祖先になったことをはっきりと感じたそうです。
無限に広がる宇宙の空から彗星に乗って、私達の生命の源が原始の海に降りそそぐ。もちろん、意思を持って地球にやってきたと。偶然ではなく、この地球に生命を宿すために、今の私達からすると気の遠くなるようなはるか彼方から、彗星は新しい命を抱えてやってきたのです。
想像すると、涙が出そうなほど、ものすごく広大で、ロマンティックです。
私たちは生まれたときから人であった
いろいろな情報が溢れ、時には本当に必要な情報にたどり着くまでに、遠回りをしてしまいます。どれがより真実に近いものなのかわからなくなるほど、さまざまな情報を瞬時にして見つけることができます。
私たち自身の外側に情報が溢れている分、なかなか自分自身を感じること、あなたの内側や外の自然を意識して感じる時間を持つことの大切ささえ思い出せないほど、目の前のことに追われてしまうこともあります。
人は元々人として存在していたと信じている人もいます。猿人や猿から進化したわけではなく、私たち人は、初めから人であった。
私たちは、誰しもその答えを持っています。ただ、その答えが何であるのか、忘れてしまっているだけ。どの人の中にも、同じ答えが確かに存在すると思います。
(別々の進化?生まれ方をしていても、別にいいですよね。)
全てはひとつであり、それぞれが個々である
これは、私が前から信じていると言うか、きっとそうなんだろうなぁと思うことです。
私たちひとりの人の中には、さまざまな細胞がそれぞれの役割をしながら、生活(活躍)しています。そして、数えることのできない乳酸菌などの微生物も、腸をお家にして暮らしています。数字で表すと、ひとりの人の体に3万種類の微生物がいて、数にすると100兆から1000兆個と言われれています。
地球に住んでいる人の数は、たぶん、70億を超えています。ひとつの地球にこれだけの人が暮らしていますが、人ひとりの腸の中に暮らす微生物の数は、地球で暮らす人工の1万5千倍から14万倍です。
そして個々の細胞の中に『ミトコンドリア』が住んでいます。独自のDNAを持ち、細胞内でエネルギーを作り出しています。このミトコンドリアの状態が、私たちの健康を左右するとも言われているほど、年々ミトコンドリアの注目度が高まっています。
そのミトコンドリアの数を見てみると、私達の体は60兆もの細胞から成り立っています。微妙に?腸内に暮らす微生物の数より少なめです。そして、この細胞ひとつひとつに、数10個から数千個のミトコンドリアが生きています。
もう掛け算をすることは私にはできません。数字が好きな人は計算をしてみてください。
私たちは決してひとりではない
もしかしたら、今いる環境の中で、孤独を感じたり、悩みや辛さを話すことのできる人がそばに誰もいないかもしれません。でも、それだからと言って、あなたは決してひとりではありません。
あなたが気が付かないだけで、どこかであなたのことを気にかけている人がきっといます。そして、全くひとりを感じていたとしても、本当にあたなが一人きりなら、この世に生まれることはありませんでした。あなたの今ある生命をつむいだ命たちがずっといたのです。
そして、あなたというひとりの生命体の中には、何日かけても数え切れないほどの無数の小さな小さな命が生きています。時には、悪玉菌と名付けられている微生物もいますが、基本、あなたという生命体が健やかで幸せであるために、目には見えないけれど、あなたの中に確実に存在しています。
だから、あたなは決してひとりではありません。
目に見えない小さい命があるのなら、目に見えない大きな命もある
目には見えませんが科学が進歩したことで、私達の中に確実に生きている微生物やミトコンドリアの存在を科学的にも証明することができます。
目には見えないけれど小さい小さい命があるのなら、目には見えないけれど私たちより大きな大きな存在がある可能性も否定できないと私は思ってきました。
私たちが暮らす、この緑の地球はどこかの誰かの細胞の一部かもしれません。地球に暮らす私たちは、善玉菌かもしれませんし、日和見菌かもしれません。もしかしたら、独自のDNAを持つミトコンドリアかもしれません。
私たちが自分の幸せや家族や友人の幸せを思いながら暮らしているこの場所は、誰かの細胞のひとつかもしれません。私たちが夜空を見上げて、キラキラと遥か彼方で瞬く星を見たり、時には流れ星を眺めたりしているように、私たちの中で暮らす微生物やミトコンドリアたちも、私達の体内で空を見上げているかもしれません。
この太陽系だって、銀河だって誰かの流した嬉し涙のひと粒かもしれません。そして、その誰かは、私たちの中のミトコンドリアで暮らしているかもしれないと、無限の広がりを感じつつ、誰もが繋がりひとつであると、そう感じています。
幸せになるためには、争いではなく平和
今も、どこかで宗教の違いや人種の違いなどで、紛争や争いが起こっています。私たちは平和に幸せに暮らすために、今ここに存在します。
誰一人として、ぽっかり急に生まれた人はいません。
目に見えないさまざまな命や愛が織り込まれて、ひとつの命が存在しています。そしてその生命の中には、無限の命が存在すると同時に、無限に広がる命の一部です。
誰もひとりではなく、誰も他人ではありません。そして、数多の命が存在するあなたは、まぎれもなくかけがえのないひとりの人です。
私たちには感情があり、知識があり、記憶があります。宇宙の広がりや微生物の存在を言われても、日々の生活と結びつけることは難しいかもしれません。
私もこういうことをいつも想っているわけではありません。すべての命が幸せに暮らす道はあると、生まれてきてよかったと思える世界にする道はあると思っています。そのことを伝えたくて、『命の不思議』を書いてみました。
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